二度目の巨大地震


カダフィ氏「人間の盾」か 標的そばに市民、空爆中止に 事実なら最低だなカダフィー。
初めてでも安心して入れるスナックがある ワッハッハー!なんか力が抜けますねえ。
自分にできることをやろう リンクありがとうございます。少しでも寄り添えれば・・・
気持ちを一緒にしたいと思うじゃない 気持ちで寄り添ってできることがあるよね。


小学生の時、巨大地震があった。
石油タンクが爆発し、橋が落ち、アパートが倒れ、街は崩壊した。
道路は液状化と水道本管破裂で川になり、僕の家も床下浸水した。


家の前の道の真ん中の30cm程だけ水に浸らず、
近所の人達皆そこに固まっていた。


余震がすごく、二つ下の弟が怖がって家に入ってくれず困った。
夜もいつでも逃げれるように、そのままの服で何日も寝ていたが、
弟が毎晩うなされていたのを想い出す。


午後1時過ぎの地震の日の夕方、越境通学の中学生の姉が、
日が暮れてから、爆発した石油タンク近くの会社から父親が、
それぞれ泥だらけで帰ってきた。もちろん自力の徒歩でだ。


食べる物もなかったが、夜になって父親の実家の人達が、
おにぎりをいっぱい作って来てくれ、近所の人達と別けあった。


この時の直下型で激しい縦揺れの後の激しい横揺れと違い、
今回の地震は、東京多摩市では激しい横揺れだけだった。


そんな経験があったからか、
激しく揺れる中、仕事部屋の本やモニタを必死で押さえながら、
「横揺れなら大丈夫」と、みょーに落ち着いていられた。


僕らは小学生で、学校が休みだったから、毎日遊び呆けていたが、
大人は皆大変だったろうと思う。


全国からの救援物資にも随分助けてもらったが、
救援物資から野球のユニフォームをもらえて、凄く嬉しかった。
もう紀元前の話だが、今度は僕らがお返しする番だ。
今自分にできることをやろう!