「無駄な努力」は ホントに無駄なのか?

 

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公園の大きな石のオブジェの前で、お母さんに何かを説明する子。

 

意味不明の事を一生懸命喋っていたが、

お母さんは「うん、うん」と相槌を打ってた。

 

一見この子の話は「無駄な努力」で、お母さんの相槌も「無駄」に見える。

けれど、この親子の間には「しっかりした信頼感」が育まれてる。

 

「無駄な努力」を徹底的に避ける東大生たち

 

現役東大生が解説する「『努力は報われる』は本当なのか?」で始まる文章だが、

中々興味深い。

 

僕の感想は、

「目標」に対しては有効な方法ばかりだが、

人生は必ずしも「目標」などなく、

「目標」があっても、途中で様々な困難が起きて、

「効率の良い予定通り」には行かないもの。

 

もう一つは、

目標や目的を持たず、行き当たりバッタりの行動が、

自分の判断力や自分自身の感性の豊かさを増す事。

そして、

これこそが「子供の感性」の原点で、

子どもは目標や目的ナシの日常から「生きるすべと生きる感性」を掴んでゆく。

 

知り合いの中には東大卒や中退の人たちがいるが、

共通するのは「理屈より感性」「目標・目的より自己判断最優先」で、

だから頭が柔らかく、柔軟で、芯は硬いのにグニャグニャにクダラナイ人たちだから、

一緒にいて物凄く楽しい。

 

「無駄な努力」が、実は人間にとって「大事な努力」だったりもするもんなあ。