知らない内に


大本営と記者クラブの「いつか来た道」 メディアを盲信せず情報は自分で判断だ!
来年はハッピーな1年に?「笑顔」のヒツジ人気 北海道 アハ!微笑んでる!
多くのアメリカ人が「その手があったか、負けた…」と悔しがっていたクリスマスツリー やるねえ!


とある施設前の「車止め」


横に「長方形の穴」が空いてて、誰かがジッと見てるようだ。


こういう所に監視カメラがしこんであっても、気がつかない。


さて、この前の衆議院選挙の時、
最高裁判所裁判官国民審査」ってのが同時にあった。


けれど、最高裁の判事なんか「誰なんだ?」状態。
「国民審査」といったって、誰なのか知らないから審査しようがない。
だけど、日本人の特性なのか「必ず信任」されちまう。


投票用紙は、各裁判官の名前が数人書いてあり、
下の欄に「信任は何も書かない」「不信任は×」を書く方法だ。


人間は「ひと手間増えると数が減る」が、
日本人は「知らないから何も書かない」が圧倒する。
結果「信任票が圧倒」する。


こういう「建前方法」を逆手にとって、
最高裁判所裁判官」も「衆議院議員」も、
「選びたい人だけ○をつける」
「選びたい人がいなければ何も書かない」にすれば、
衆議院選挙も国民審査も、全く違った結果になる。


選挙制度とは別に、
「投票方法」が予め「信任されやすい方法」なんて、
知らない内に仕組まれた方法で、
あの車止めみたいに、汚いやり方だと僕は思う。