人を創る大事な事


議員の借金、出どころは 借入先の報告義務なし ザル法は利権の温床。
「なまけるためなら、どんな努力も惜しまない…」度を越した例いろいろ アハハ!おまわりさん!
アベノミクスの「正体」 原発再稼働でも貿易赤字は減らない。化石燃料の輸入量増加もウソ。
神の御業としか思えないクオリティのペーパークラフトバイク 神の紙技!ニコ動
年金支給の開始引き上げは選択で 厚労相、一律は「反発大」 年金破たんの責任は自民党なのに。


僕が生まれたのは、とある地方都市のド下町。


名前だけは「港町三丁目」ときれいだが、
実際は、写真の谷中の木造長屋より更に古く、
狭くて汚く、二階建てではなく平屋の街並みだった。


表通りは、ブリキ屋さんや米屋さんや海鮮問屋や研ぎ屋さんの、
職人さんたちのお店だったが、狭い路地は平屋の長屋の街だった。





今ジジイになって、谷中のこんな凝った木造家屋を見ると、
懐かしさは勿論だけど、
僕が生まれた街のボロボロさが、改めて蘇る。





同じ谷中の二階建て木造家屋の、壊れた雨戸に、
気持ちが子供の頃に引き戻されるのだ。


大人は皆生活するのに必死で、
子供の面倒なんか見る暇がなく、
当たり前に、年長の兄弟や近所のガキンチョが世話をしてた。


遊ぶ時も、ヨチヨチから中学生位までが一緒で、
ド下町の裏路地は、どこも泥だらけの子供達で溢れてた。


小学5年生の時に、少し高級な住宅街へ引っ越したが、
新しい街は、路地も広く、大きな家だらけで、
そこで遊ぶ子供なんか皆無だった。


1年間二つ下の弟を連れてバスで越境通学したが、
帰りは、決まって前のド下町で遊んでから帰った。


人の成り立ちは様々な要素がからんでる。
が、僕には昭和30年代40年代を背景にした、
あのド下町の生活が、すごく大きいとよく思う。


消臭剤?手洗い?
ワッハッハー!そんなもん人間を軟弱にするだけだ。