甘えるって、なに?


東京昼間人口 最多1557万人 なんか頭クラクラするほど人が多いなあ東京。
民主“たそがれ”相次ぐ公認辞退、造反組も ウソとズルだらけ政権のツケだ。
地下鉄サリン18年で慰霊式 冥福祈り「風化させない」 あの日はハラハラ心配したなあ。合掌
民主、脱原発法案提出へ しかしやってきた事は「推進」だから、説得力なし。


ホームで電車を待ちながら、楽しそうに会話してた親子。


子供が話し、お母さんがほほ笑み、なんか良い光景だなあと思う。
こういう光景を見ると、僕は胸がキュンとする。


涙もろいジジイになったから、だけじゃなく、
僕は、親に甘える術を知らずに育ったからかもしんない。


だからだろうか、
親以外の先生や友達にも、「甘える」事が無かったし、
小さい頃から、自分で考え・決め・実行する事に慣れた。
自然と責任を持たされる役割を、自分の意思とは別にやらされてきた。


誰にも相談せず、自力で物事を進めるのは至難の技で、
特に幼い頃は失敗も多く、悔しくて悲しくて寂しくて、よく隠れて泣いた。


大人になってからも、ある事情で親と縁を切って生きてきたから、
当然相談どころか、帰る場所すらなく、自分の力だけでやるしかなかった。


そんなこんなで、仕事上の困り事があっても、
事情を聴く為に「相談に乗ってもらう」事はあっても、
「相談」というより「事情を聞かせてもらう」程度でやってきた。


しかも、それだって数えるほどしかなく、
その後は自分で判断し・自分で対応を決め・自分で動くしかやり方を知らない。


「甘え下手だなあ」なんて、昔勤めてた会社の上司に言われた事もあるが、
僕自身は、甘えるってどうすればいいのか解らないだけだ。


人の生き方はそれぞれで、物事の感じ方や受け止め方もそれぞれだ。


そんな雑多な人たちの中で、扉を開いた人間関係を創るのが一番難しい。


誤解もあるし、メール等は「文字」だけのコミュニケーションだから、
「相手の雰囲気・文字には出ない真意」が伝わりにくい。


それでもやっぱり僕は、
誰に対しても気持ちの扉は開いていたいし、
意見の違う相手に対しても、同じ態度・対応を心がけたい。