言葉が心に

 

 

アルゼンチン1985」という映画を、Amazon primeで観た。

 

1976年から続いた軍事政権が倒れ、新政権ができたが、

軍事政権が「反政府ゲリラとの戦争」を理由に、

一般国民を、監視・拉致・拷問・殺人を犯した罪で告発した裁判の話だ。

 

その証拠を集め論告求刑まで持っていったのは検察で、

検事と副検事と若いスタッフ達だ。

 

まだ軍事政権の支持者が多数政府機関にいて、

脅しなど恐怖の中での仕事だったが、

僕が驚いたのは、

それでも三権分立が残ってる」事だ。

 

日本は、表むき法律上は「三権分立」だが、

実際は、検察も裁判所も政府への忖度だらけで、独裁政権と変わらないからだ。

 

主任検事の論告求刑での、

「弁護側が何度も持ち出した『戦争だった』という論理を受け入れると仮定します。

しかし、匿名の集団が武器を持たない市民を明け方に襲い、拉致することが戦争行為と言えますか。

無抵抗の人たちを拷問し、殺すことが戦争行為と言えますか。

家を占拠し家族を人質に取ることが戦争行為ですか。

たった今産まれたばかりの子供が、軍の標的なのですか」

 

そして、最後の言葉、

「私は独創性を放棄したい。
これは全てのアルゼンチン国民の「合言葉」だ。
『二度と再び』」

 

画像の美しい夕焼けの山々のように、清々しい言葉が心に響いた。