自分を生きれる社会


後藤さん殺害か「イスラム国」新声明、人質事件 ついに。合掌
ロック魂で弾いてみな 世田谷の中学校で植木職人ギター教室 授業より授業だね。


この前のどんど焼きの時、
まゆ玉団子をジッと見ながら歩いてた女の子。


食べたいんだろうなあ。アハハ かわいい。


ところで、とある仕事先にバイトの女の子が来た。
半年ほどカナダに留学した経験がある大学2年生。


ところが日本に戻って、
「枠にはめる教育にウンザリ」だそうだ。


そんな話を聞いて、彼女の感性に僕は嬉しくなったが、
日本は、学校も親も会社も、
「ひたすら枠にはめたがる」


一人ひとり個性が違い、感性が違うのに、
その違いを活かそうという発想がまるでない。


物事の受け止め方や感じ方・消化の仕方は人それぞれ。
なのに、それを一律の価値観でくくる事で、
それぞれの能力を引き出し伸ばそうという発想ではなく、
「管理しやすい人間を作ろう」とする。


結果、発想や企画力が育たず、
「無難な事だけこなせる人間」が量産される。


大学や大手企業などでは、個性重視で採用なんて所もあるが、
受け入れ側が、「無難な発想しかできない人間」だから、
個性が強く「人と違った発想や企画力の人」を活かせない。


アルバイトの女の子の話を聞きながら、
日本の「気持ちの貧しさ」を痛感した。


「自分を生きれる社会」は、遥か彼方の夢のまた夢だ。