間違った善意の選別社会

  被災者支援へ予備費7.1億円 参院予算委で首相 戦闘機には一機110億!被災者へは7億!

  IOCが突然の発表 日本陸連は困惑 そもそも真夏の東京で五輪じゃ死者が出るぞ!

  いったいどこに!? 隠れたり変装している人々の写真 アハハ!努力は買うけど意味が・・・

  台風19号で断水 町の自衛隊給水支援に神奈川県が“待った” 千葉の森田同様コイツも自民体質!

 

f:id:hentekoh:20191016193609j:plain

 

睨むカマキリ。

 

そりゃそーで、いく手を僕が邪魔してるからで、

「写真撮るだけだから・・・」とお詫びした。アハハ

 

さて、なんだかこの数年で「日本の空気」が変わってきたように思う。

 

具体的に言うと、

「生産性で分け隔て『不寛容』になった」ように思うのだ。

 

今回の台風19号でも、避難所に来たホームレスの人を、台東区が拒否した。

 

貧富の差や住民登録の有無の方が「命より優先」という対応に唖然だが、

身の周りでも、障害のある無しや男女や年齢などで、

不条理としか言いようのない差別がいっぱいある。

 

「なぜ、弱者を叩く社会になったのか?」相模原事件から考えた、不寛容な時代

 

によれば、

「日本には財源ないから、障害者や高齢者のような

 役に立たない人の面倒見るなんて無理だよね」という話を

 善意からしてしまう人が出てくるようになってきている

 

「善意」からという意味では、

神奈川県相模原市の「やまゆり園」事件の犯人・植松被告は、

あの事件を起こしたことで「自分は役に立つ側の人間になった」と感じていること、

「障害児を育てることに苦しんでいる母親を救いたい」という思いがあった

 

って、障害者を殺す事が彼にとっては「善意」であり、

生産性のない人間を減らす事が「世の中を良くする事」という感覚だ。

 

一般的な通り魔の「殺す相手は誰でもよかった」なんて無方向の殺意ではなく、

ハッキリした殺意の意味があり、それが「善意」として実行される。

 

なんだかトンデモナイ発想だが、

それと同じ事を言ってた仕事関係の人を僕は知ってる。

 

植松被告やその知人の壊れ方だけではなく、

社会の根っこが、

こんな「間違った善意の選別感」に満たされつつあるんじゃないか?